スタッフ紹介

てんびんカイロプラクティックの野間実です。2010年に博多駅前で開業しました。
大学時代から腰痛と足の痺れに悩まされてきました。アメリカでアクティベータ・メソッドというカイロプラクティックを受けたことで腰痛と足の痺れが改善されました。そのことがきっかけで、中学教員を辞めてカイロプラクティック業界に転職しました。これからも、お一人お一人、心を込めて施術をしていきます。

  • 1971年生まれ
  • 杏林大学外国語学部卒業
  • 杏林大学大学院国際協力研究科国際文化交流専攻修了(修士)
  • 中学・高校1種教員免許(英語)
  • 元中学校英語教諭(飯塚市)10年間
  • 元私立高等学校非常勤講師9年間
  • 2年制カイロプラクティック学校卒業
  • 日本心理学協会認定心理士
  • アクティベータメソッド上級認定
  • 心身条件反射療法マスター認定
  • ICC認定国際コーチ

慢性痛に出会った経緯(中高生編)

white and black soccer ball on grass field

私はもともと長い間、腰に痛みがあり、それがきっかけでカイロプラクティックに出会いました。
その時の出来事を何回かに分けて書いていこうと思います。

私が小学5年生の時、サッカークラブに入りました。その頃から、書店で本を探しているとなぜか左足がジンジンしたり、重だるく感じ、ゆっくり本を探すことができないことがありました。中学生の時も時々同じような感じがありました。

高校生の頃は、腰痛や足のしびれを感じることがありませんでした。

東京の大学に入学し、喫茶店の厨房でアルバイトを始めましたが、数年して腰に違和感を感じ、徐々に痛みとなり、左臀部から左太ももの側面や後ろにしびれを感じるようになりました。

腰の痛みと左足のしびれがひどく、アルバイトを続けることが困難になり、結局、喫茶店のアルバイトを辞めることになりました。下宿先の近所の整形外科に行くと、レントゲンの検査の結果、「腰椎椎間板ヘルニア」と診断されました。

両親に相談すると、福岡に戻って知り合いの病院で診察を受けるように言われました。その頃はまだMRIが珍しかったので、腰痛で辛い中、佐賀の病院までMRIを撮ってもらいに行きました。すると、「椎間板ヘルニア」に間違いないと言われ、硬膜外ブロック注射をしてもらいました。

慢性痛に出会った経緯(大学編)

東京で学生生活を送っていた時、以前感じた腰の痛みと左足のしびれに再び悩まされました。福岡に帰って、佐賀の病院でMRIを撮ってもらい、その画像を見ながら「椎間板ヘルニア」と説明を受けました。

医師免許を持つ父親から、「ヘルニアは一生治らないから、上手に付き合っていくしかない」と言われ、ショックを受けたのを覚えています。その後、硬膜外ブロック注射を受けました。

そして、福岡市内の整形外科に紹介状を書いてもらい、通院することになりました。
牽引と電気をあてるリハビリを受けて、湿布と痛み止めの薬をもらいましたが、あまり痛みとしびれは引きませんでした。

ちょうどその時、当時付き合っていた今の妻から電話がかかってきて、「引越しを手伝ってくれるから当てにしてたけど、東京に帰ってこれないの?」と言われました。通院のため福岡に戻る前、引越しを手伝うと言った手前、約束を果たさなくてはと思い、福岡の整形外科の治療をやめて東京に帰りました。

痛みとしびれで、アルバイトもできないと思っていたのですが、妻の引越しは意外とすることが出来ました。痛みもそれほど強く感じませんでした。引越しの後、日が経つにつれて徐々に痛みとしびれは引いていきました。

その当時は、福岡での治療が効いてきたのかと思っていました。しかし、考え方や決意の仕方で、慢性的な痛みやしびれは軽減・消失することがあります。今考えると、整形外科のリハビリの効果というよりも、引越しの手伝いを自分がしなくてはいけないという使命感が痛みを軽減させたとわかります。

その後、社会人になるまでは腰痛と足のしびれはありませんでした。社会人になると、また強烈な痛みとしびれに悩まされることになります。

慢性痛に出会った経緯(社会人編)

baseball, ball, field

大学時代に、「椎間板ヘルニア」と診断されて、半年ほど腰痛と足のしびれに悩まされました。

卒業後、福岡で中学校の教員になり、そこで野球部の顧問をすることになりました。野球は小学生の頃、遊びでしていた程度で、経験はありませんでした。そのため、ノックをしてもボールがバットに当たらなかったり、外野にボールが飛ばなかったり、とても苦労しました。徐々に、大学時代に経験した腰痛と左太ももを中心としたしびれが出てきました。

近所の整形外科に通って、牽引や電気をあててもらったり、硬膜外ブロック注射をしてもらいましたが、5ヶ月ほど痛みが続きました。休みの日は、家で横になっていることが多かったです。

その頃、妻が通っていたカイロプラクティックに通ったことがありました。
アクティベータではないカイロプラクティックでしたが、3回くらい通うと、1ヶ月ほどして痛みが引いていきました。

その後、時々痛みが出ると数ヶ月痛みが続きました。教員になって8年目に日本語教師としてアメリカに派遣されることになりました。アメリカに赴任して、また腰痛と足のしびれに悩まされます。

アメリカの小学校での授業風景

私が慢性痛に出会った経緯(アメリカ編)

(アメリカで 勤務した 小学校にて)

日本語教師として、アメリカに派遣された数ヶ月後、再び腰痛と足のしびれに悩まされました。ある日、朝起きたら腰痛になっていました。前日は、何か重たいものを持ったわけでもなく、家族と家の近所を散歩したくらいでした。

腰痛と足のしびれがひどく、歩くことも立っていることも辛かったです。その日はとりあえず職場に行きましたが、「帰っていいよ」と上司に促され、仕事を休むことにしました。その日の午後、アメリカ在住の知り合いにカイロプラクティックを教えてもらい、診てもらうことにしました。

問診票を記入し、施術台が1台置いてある個室に通されました。数分後、先生が現れて、一通り説明を受けました。説明が終わると施術台にうつぶせになるように指示されて、初めて、アクティベータの施術を受けました。

おそらく、5分くらいでした。パチパチと機具で調整されました。心地よい振動が体に伝わってきました。不思議な体験でした。

施術後、立ち上がると腰の痛みと足のしびれはありましたが、体全体が軽くなってることがわかりました。

家に帰ると、「どうしたの!まっすぐ立ってる!」と妻に驚かれました。そのあと、強い眠気を感じて2時間ほど眠ってしまったことを覚えています。

カイロプラクティックの先生に言われた通りのペースで通うと、1週間ほどで痛みがなくなりました。それまでは、腰が痛くなると痛みが3ヶ月から半年は続いていたので、驚きでした。

アメリカでの仕事の契約が終わって日本に戻ったら、アクティベータの施術者になろうとその頃決めました。

2017 年、アメリカのアリゾナ州で行われたアクティベータ・メソッド50周年記念の行事に参加した時に、偶然アクティベータの施術をしていただいていたカイロプラクティックの先生とお会いできました。今、カイロプラクティックで、いろいろな方に支えられながら仕事をすることができて、幸せな毎日を送っています。